本を読んでもすぐに忘れてしまうので、忘れないうちに簡単な感想を含めて書いていこうと思います。
昭和のような終身雇用制度が崩壊した現在、会社人としてではなく個人としてこの社会を生きていく処方箋のような本でした。
フェイスブックでありのままの自分を名刺代わりに伝えていこう点に共感しました。
この本のポイント:
(フェイスブックの使い方)カッコつける必要もないし、すごく立派なことを書こうなんて気構えなくてもいい。ただ、自分の素直な気持ちを、ひっそりと伝えればいいんです。
わたしはフェイスブックの本当の意味は、ふたつあると思っています。
第一は、人間関係を気軽に維持していくための道具。
第二は、自分という人間の信頼を保証してくれる道具。
要するに、肩書じゃなくて、中身そのもので勝負する時代になってきているんです。
失われてきている「世間」や「箱」のようなヒューマンシステムの代替物としてフェイスブックの意味があるということなんですよ。
つまり、箱(会社)のなかでは先輩や偉い人が勝手に教えてくれていたのが、そう透明社会では教えてもらうには交換条件が必要になってきているということです。
悪意を吐き出すと、言われる方も大変だけど、言った方もそれなりの責任を追わなければならなくなるってことなんです。
知らない他人であっても、人って案外に好意を与えてあげたいと思っている生き物なんですよ。
そういう時代に、弱いつながりを大切にして、多くの人とつながっていくということは、これこそがまさに新しい「情の世界」なんじゃないかとわたしは思うんですよ。それこそが新しいセーフティネットじゃないかと思うんですよ。
会社のような「箱」の中に収められている「情の世界」じゃなくて、社会のすみずみに裏側で網の目のようにつながっている新たな形の「情の世界」。
狭くて強いつながりよりも、広くて弱いつながりを保つほうが生存戦略として有効になってきている中では、「会社のために黙々と仕事をする」よりも、「広い社会のために善いことをする」というほうが正しい生存戦略である、ということです。
わたしら日本人は見知らぬ他人に対してはとても残酷だってことなんですよ。
生存戦略として正しいのは、見知らぬ他人に対しても寛容になること。
自分がピュアであることを主張し、どこかにいる強い悪を非難していれば、誰かから非難され返すことは絶対にありませんよ、そりゃ。最強の立場です。でも同時に、それはとてもずるいんじゃないかと思うんですよね。
生存戦略として、見知らぬ他人を信頼すること。
生存戦略としての、多くの人との弱いつながり。
生存戦略としての、善い人。
生存戦略としての、自分の中途半端な立ち位置を知るということ。